カラマーゾフの兄弟 第7編
第7編ではゾシマ長老の死んだ後の1日のエピソードが語られる。
大まかに言うと、ゾシマ長老の死に悲しさと悔しさを感じたアリョーシャは修道院をでて、グルーシェニカのとこへ行き、また夜に帰ってくるという話。
驚いたのは、ロシアにも、いやキリスト教にもと言ったほうがいいか、
芥川龍之介の蜘蛛の糸のような逸話があったってことだ。
蜘蛛の糸の話は仏教由来の話だと思っていたが・・・
蜘蛛の糸が葱になっただけでほとんど同じなのである!
蜘蛛の糸の話が中国を経由してロシアに入ってきて、キリスト教と融合したのか
いや、もしかしたら葱の話自体が、実はキリスト教由来で、その話がインドに伝わって、蜘蛛の糸に加工されて伝わったのかもしれない。
しかし、グルーシェニカのアリョーシャのやり取りはどういうことだろう・・・
2人はお互いのことを、卑しい女、汚い人間と卑下しあって、お互いを褒めあい、愛し合っている(恋愛的な愛でなく、人間としての、キリスト曰く隣人を愛しなさいの愛)ではないか!
そんなやり取りを見て、ふと自分のことを考えてしまった。
私も自分のことを、頭も悪く、目も悪く、耳も口も鼻も悪い、おまけに運動神経も悪い、ほんとクソな人間と思っているからだ。
こんな人間を好きになる異性なんているはずがないと頭から信じてやまないのである。
もし、私のことを愛してるという人が現れても私は信じないだろう。
私は、たった一人でなく、皆の、異性の笑顔さえ見れていればそれで幸せなのである。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして、
やはり、辛い時は他者と交わるといいというのはその通りなのだろう。
落ち込んでいたアリョーシャもグルーシェニカと話したことで、いくらか気分転換できたみたいだしね。
辛いのは自分だけじゃないと分かったことで、少し前向きになれたんだろう。
新たな登場人物
●サムソーノフ
→グルーシェニカを拾った、実業家の爺さん