カラマーゾフの兄弟 第11編

第11編は、ドミートリィの逮捕後2か月、公判前日のことが語られる。

 

アリョーシャはこの日、矢継ぎ早に様々な人のところを歩いて回る。

 

最初はグルーシェニカのところへ行き、次にホフラコワ夫人、リーザ、

ドミートリィのとこへ行って、その次にカテリーナ・イワーノヴナ、最後にイワンと話しをする。

 

後半はイワンの視点に代わり、イワンとスメルジャコフの話、自分自身の中の悪魔との対決の話が語られる。

 

それぞれの人物たちが、それぞれの胸に抱く悩み、感情、本音をアリョーシャに吐露していく。それがみんなリアルで、誰もが、一人は共感できる人物がいるのではないかというぐらい、よくある人間の愚かな感情が描かれる。

 

グルーシェニカは女の嫉妬を

リーザは罪を犯したい誘惑に駆られる心理を

ドミートリィは高潔さと誘惑に揺れる心理を

イワンは今まで下に見ていた人物に馬鹿にされる屈辱感や己の中の葛藤に苦しむ姿

 

がそれぞれ描かれる。

 

私は女性ではないので、女の嫉妬というのはよくわからないが、

常に自分の彼氏が浮気してないか気になって、こっそり彼氏の携帯のメールとかをのぞいたりする、束縛系の女性の心理はこういうもんなんだろうと推測した。

 

リーザの感情にしても

まじめな人には理解を得られないだろうが、

若い頃は、自分が生きてきた環境に飽きてきて、違う世界を見てみたいとか、

ダメだと頭ではわかっているが、実際にやってみたい衝動に駆られたりする時があるものだ。

私にも覚えがある。

学生の頃に、静かな全校集会中に、いきなり発狂して、大声で叫んだらどうなるだろうか?などと考え、衝動に駆られたりしたことがあったものである。

実際は理性の抑制と勇気のなさから実行することはありえないのだが、やってみたいと思ったことはある。

もしくは、会社などで常に威張り散らして、部下に指図しているような人に限って、

プライベートではクラブの女王様に罵られ、鞭打たれることに喜びを感じるような男もいて、そういう人はそうやって自分の精神のSとMのバランスをとっているという話もあるから、

リーザの場合も今まで、裕福な家庭で育って、正しく生きてきた反動でそういいう衝動に駆られてるというのもあるかもしれない。

小学校などの小さい頃は先生や親などに言われた通り、ルールや正しいことに従って生きているものだが、もちろんそれには怒られたら怖いというのもあるが、

高校生とかそれなりに分別がついて、親や先生が怖くなくなってくると、次第にそういう衝動に誘惑されたりするものである。

高校生や大学生などの若者の犯罪が多いのもこういう理由からだろうか。

リーザも年頃ということで、そういう状況になっているのだろう。

もちろん、彼女は口ではあんなことを大層に言ってはいるが、絶対実行することはないだろう。

概して、口では挑戦的なことを言うが、実際に行動に移すことはないのがほとんどである。

 

 ドミートリィのところでは

自分は誘惑に弱い人間で、数々の罪を犯してきたが、この機会を

反省し更生するチャンスと捉え、苦しみに耐える決心をしつつも

その後もっと楽な道があることが分かり

自分のためを思えば敢えて厳しい状況に追い込む方が有益と思いつつも

それでも楽な方法があるなら楽をしたい

だが、そうやって誘惑に負けて、楽をする方を選べば結局今までと変わらず、己の成長はないとも思い…

という間で揺れる心理が描かれていると思う。

 

最後にイワンの部分では

今までただの召使と下に見ていたスメルジャコフに

今回の事件に関して、小ばかにしたような態度をとられ

屈辱を味わい、憤ると共に、何とか己のプライドを保とうと必死になっているイワンが描かれていたと思う。

さらにそのためかなぜか、イワンは精神を病み、

家に帰ってからは、自身のうちの悪魔の声と戦うことになる。

おそらく家に着いた時点で、彼は、精神的疲労により、そのまま倒れ伏したが、

そのことにも気付かず、夢の中でその続きが続いてて、アリョーシャのノックの音で目覚ますまで、そのことに気付かなかったのではないだろうか。

さらにその中で悪魔が語る伝説の部分の話はドストエフスキーの人生にトレースしているように感じる。というかあの伝説で語られた人物こそドストエフスキーその人ではないだろうか。

ドストエフスキーは若い頃は社会主義者であまり神を信じていなかったが、社会主義の活動で政府に逮捕されて、牢獄に入ってからは逆に宗教主義的存在という真逆に思想が変化したとかなんとかいう話を聞いたことがある。うろ覚えなので細かい部分は違うかもしれない。が、そんな人生を歩んだはず。

 

そう考えるとカラマーゾフの3兄弟はドフトエフスキーの分身ととられることができる。

社会主義者で思想的なイワンはドストエフスキーの逮捕される前までの姿

神を信じ、宗教的なアリョーシャはドストエフスキーの宗教に回帰した後の姿

そして、ギャンブルや酒など誘惑に弱く、罪を犯しがちなドミートリィはドストエフスキーの逮捕前後でも変わらなった、根本的な姿を反映しているように思えてならない。

確かドストエフスキーは作家になった後もギャンブルや酒をやめられず、貧乏作家だったと聞いた覚えがある。